2009年01月02日
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大宮八幡との関連性で下高井戸八幡神社の位置の必然性を推理してみる

Written By: 川俣 晶連絡先

 以前、桜上水Confidentialさんより以下のような宿題を頂きましたが、何しろ水の道と鉄の道が主なので、古道まで手が回りません。

大宮八幡を中心にした道は多く、方南通り、人見街道のほか、荻窪の上通り、下通りも、大宮八幡を始点としているようです。

また、荻窪の上通りは、青梅街道につながっていた可能性もあり、五日市街道は勿論、青梅街道も江戸以前は、大宮八幡が始点だった可能性をかんじます。

大宮八幡は、江戸以前の「日本橋」だった?

 それはさておき、下高井戸八幡神社に関する疑問とアイデア・それは物流中継点なのか?を書いたとき、意識したのは神田川と鎌倉橋(鎌倉街道が神田川を渡る橋)だけでした。

 しかし、古道を記した(4)阿佐ヶ谷駅から大宮八幡までというページを見ているときに、ハッと気づいたことがあります。

 古道と大宮八幡をもっと意識すべきだったのではないかと。

鎌倉街道 §

 現在の鎌倉街道は鎌倉橋からそのまま北に向かいます。しかし、古道としての鎌倉街道は鎌倉橋を渡った後、東に向きを変えて西永福駅あたりを経由して大宮八幡に至ります。

 この経路は、下高井戸八幡神社から見て、神田川の対岸の間近を通ります。

 荻窪圭さんの世田谷古道地図をお借りして、このあたりを地図で図示してみます。ブラウンのラインが古鎌倉街道で、左下に下高井戸八幡神社、右上に大宮八幡があります。


大きな地図で見る

考察あるいは無根拠の夢想 §

 そこから考えてみましたが、実は下高井戸八幡神社のロケーションは以下の条件を満たす最善の位置と見なしうるようなのです。

  • 大宮八幡との間に河川 (天然の防壁) が存在する
  • 架橋を含んだ上で最短経路で鎌倉街道=大宮八幡への経路に出られる (これ以上東に寄せると鎌倉街道が遠くなる)
  • 善福寺川の対岸のような極端な至近距離はNG
  • 以上の条件を踏まえた上で大宮八幡にできるだけ近い

 つまり、大宮八幡と下高井戸八幡神社は、密接な連携を取らねばならないが、武力衝突もあり得る緊張感のある位置関係と考えると、非常にしっくり来るのです。

 このことは、最近気付いたあることと関連します。その「あること」とは、江戸城と神田川は密接不可分に関連しているという状況です。江戸城の築城は、神田川下流部(平川)の大規模改修と連動しています。そして、おそらくは善福寺川沿いに存在する大宮八幡も、善福寺川を含む神田川水系と密接不可分に連動した存在であった可能性は高いと思います。

 とすれば、江戸城の築城とは神田川/善福寺川水系の支配権争奪戦的な性格を含む行為であり、大宮八幡と敵対する可能性があり得たかもしれません。そのような状況を背景にして考えるなら、江戸城築城の支援施設が下高井戸八幡神社の位置に建設されることは、大いに意味があるように思われます。

 ……と思いましたが、思っただけで本当かどうかは知りません。

 ああ、もっと勉強しないといけませんね。

余談・世田谷古道地図のこと §

 世田谷古道地図は時々見ていますが、いい感じに成熟して来ていると思います。出典、根拠なども書き足されていて、確かさへの手応えもあります。どこが世田谷だ、と突っ込みたくなる場所にも線が引かれていますが、もちろん範囲が広くて悪いことはありません。不安材料は今のところ、荻窪圭さんがMacintosh専門ということで、互換性等の問題が発生するリスクを感じる点だけです。

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